政治面で、ヴェルサイユ体制・ワシントン体制によって、世界が一つにまとまっていく過程を追うことができるが、経済面でも世界が一つにまとまっていった。1816年のイギリスの貨幣法でソブリン金貨が発行されて以来、金と貨幣が兌換できる貨幣制度が全世界に波及していった。この制度を金本位制と呼ぶ。
イギリスで始まったこの貨幣制度に対しては、欧米各国(オランダは1818年、ポルトガルは1854年、ドイツは1871年、アメリカ合衆国、ベルギー、イタリア、スイス、フランスは1873年、デンマーク=ノルウェー、スウェーデンは1875年、スペインは1876年、オーストリアは1879年、ロシアは1893年)が追随した。日本は明治維新直後の1871年に新貨条例を定めて金本位制に参加しようとしたが、当時の経済基盤は貧弱であり、銀本位制に変更、日清戦争後にようやく、金本位制に復帰した。
世界を一つにまとめる貨幣制度として、金本位制は機能していたが、第一次世界大戦によって、各国は金本位制を中断する措置をとった。1919年、アメリカ合衆国を皮切りに各国が金と貨幣の兌換を再開するが、世界恐慌の発生により、金本位制から離脱する国々が相次いだ。金本位制を巡っては、関東大震災により復帰のタイミングを逸した日本が暗黒の木曜日直後に金輸出を再開したことから政変に発展する事態となった。
1920年代の欧米社会と日本
大衆民主主義・婦人解放の前進とファシズムのめばえ
総力戦を戦うなかで、各国政府は全国民に戦争遂行への協力を要求した。そのため、戦後になると、戦時中の公約にしたがって、女性をふくむ参政権の大幅な拡大が多くの国で実現した。大戦前に婦人参政権のあった国はニュージーランド、オーストラリア、フィンランド、ノルウェーの4か国にすぎなかったが、大戦後は戦争における女性の貢献への報酬として、多くの国で参政権があたえられた。この時期には日本でも平塚らいてうや市川房枝を中心に婦人参政権運動が展開された。
また、社会主義国との対抗上、資本主義諸国も雇用を安定させ、福祉を充実させることが求められた。1923年、イギリスでは総選挙がおこなわれたが、政権党だった保守党が過半数に達せず、労働党のラムゼイ・マクドナルドが政府不信任動議を出し、自由党の閣外協力を得て初めて組閣した。これによって、イギリス初の労働党内閣が誕生した。
アメリカの秘密結社KKKの集会(1923年)しかし一方では、主義・主張、人種や民族の違いを理由に暴力に訴える風潮もめばえてきた。
南アフリカのアパルトヘイト、オーストラリアの白豪主義に加え、アメリカ合衆国では白人の優越を説く秘密結社クー・クラックス・クラン(KKK)が1915年に再建され、その活動が再燃して20年代には数百万の白人が入会していた。また、1921年、米国連邦議会は俗に「移民割当法」(Quota Immigration Act)と称される法案を成立させ、1910年国勢調査における各国別生まれの居住者数を算出し、以後の移民はその割合に比例した数でのみ認められるとした。なお、アメリカにおける日本人(日系人)の移民活動は日米紳士協定に基づいた日本の自主規制と州レベルでの排斥活動の間で微妙なバランスを保ちつつ進行していたが、1924年には、反東洋系色の強いカリフォルニア州選出下院議員の手によって「帰化不能外国人の移民全面禁止」を定めた第13条C項が追加され、いわゆる「排日移民法」がアメリカ合衆国連邦議会で成立した。
戦後の混乱がつづくイタリアでは、戦勝国でありながら、期待していたフィウーメなどの領地が得られず、ヴェルサイユ体制に強い不満をもつ人も少なくなかった。経済危機も深刻で、ロシア革命の影響も受けて、ストライキや農民の土地闘争がひろがり、社会主義勢力が拡大した。
1919年、ベニート・ムッソリーニが、革命阻止、国粋主義の立場で「イタリア戦闘者ファッショ」を組織し、中産階級や資本家、地主層などの支持によって勢力を拡大して、1921年に政党ファシスト党を結成、1922年のローマ進軍によって政権をにぎった。ムッソリーニは1924年にはフィウーメを獲得し、1926年には社会党など他の政党を禁止し、ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世をはじめとするイタリア王室、軍部、財界などの支持を得て一党独裁の体制をととのえ、1927年にはアルバニアを保護国とし、強力な統制経済によって経済危機をのりこえようとした。
ファシズムにおける独裁は、資本主義の危機的状況に対応して現れたものであり、従来の独裁政治とは、大衆的な基盤を有する点で性質を異にしていた。
東欧諸国と民族問題
第一次世界大戦では、2つの多民族国家すなわちオーストリア=ハンガリー帝国とオスマン帝国がドイツとともに敗戦国となり、また、ロシア革命によってやはり多民族支配を行っていたロマノフ王朝のロシア帝国が滅んだ。
これによって3帝国(ドイツも含めれば4帝国)の支配していた東欧には一種の権力真空状態が生まれ、ウィルソンの提唱する民族自決主義の影響もあってパリ講和会議の結果、多くの独立国がここに生まれた。しかし、その国境線は、ドイツを包囲し、ソ連の影響力を封じ込めようとする連合国によって決められたため、いずれの国においても国内に少数民族を含み、民族間の争いが絶えなかった。二重帝国から独立したチェコスロヴァキアはドイツ系住民が多く居住するズデーテンを含み、ポーランドは旧ドイツ領とウクライナの一部を併合した。これらは、その後も複雑な民族問題を残すこととなった。
さらに、チェコスロヴァキアをのぞきいずれも農業国で、地主の力が強く、農民はまずしかった。農民の不満も大きく、政治は安定せず、ポーランドではユゼフ・ピウスツキ、オーストリアと分離したハンガリーではホルティ・ミクローシュ、南スラブ人王国の構想より生まれたユーゴスラヴィア王国ではアレクサンダル1世の軍事独裁政治がおこなわれた。
アメリカ合衆国の「永遠の繁栄」
フォード・モデルT(1923年)アメリカにとって1920年代は、これまでにない繁栄の時代だった。流れ作業とベルトコンベアなどの機械化とを組み合わせたアメリカ式の新生産方式を代表するフォード・モーターは、安価な乗用車を大量生産し、定期的モデルチェンジ・広告・割賦販売など大量販売方式を組み合わせて、電気洗濯機や電気掃除機など快適な家庭電化製品やラジオ・映画の普及とともに、大量消費を楽しむ新しい生活スタイル(アメリカン・ライフ)や大衆文化をうみだした。
20世紀はじめに南部でうまれたジャズは、1920年代には北部の白人社会で受容され、各地にジャズ・バンドがうまれた。また、ホームラン王ベーブ・ルースの活躍などに代表されるアメリカ大リーグ、パット・サリバン創作のフィリックスやミッキーマウスなどウォルト・ディズニー・カンパニー製作のアニメーション映画、水着スタイルの最初の美人コンテストなど、20年代は、こんにちのアメリカ文化の原型が多くつくられた時代だった。
この時代のアメリカの繁栄を象徴するものに上述のラジオがある。1920年にピッツバーグでラジオ放送が開始されると、ラジオ受信機は急速に普及した。大量生産により生産されたラジオの保有台数は1929年には1,000万台に達している。これを通じ、ジャズなどの新しい文化が普及した。のちに世界恐慌のさいに大統領となったフランクリン・ルーズベルトはラジオを用いた炉辺談話を行って直接国民に語りかけた。また、ラジオ放送を可能にした電波は軍事目的にも利用されることとなった。
アメリカは、大戦で疲弊したヨーロッパ諸国にかわって世界経済の覇権を握り、国としても債務国から債権国に転じた。ニューヨークにはクライスラービルをはじめとする摩天楼(超高層ビル)が建てられた。この時代を「繁栄の20年代」「黄金の20年代」あるいは「永遠の繁栄」などと呼んでいる。
アビランド ケイソ グズア 月の宿 トラム 太鼓判 バロイ ガリウム ジョーカー スーパー プチブ ダムウェ フット チルドレン シーズン ポインセ キッチン メンチ ナラティブ 河童大王 アービト キャリア カララー ダブルシン ガッツ カフス ビジョン デバイ マスゲ シェード ナル 華麗 プロジェト スタート スタンド ハノー リアリ スヌーピ アオザイ フォトメ ビンバ シネコン スローガン ライン センナ ハイマツ アコード フォカマイ スコア ケブキ
その一方で、孤立主義をとるアメリカは国際連盟には加盟せず、国内でも保守的なムードが強まり、1921年にはサッコ・ヴァンゼッティ事件が起こってイタリア系移民労働者が逮捕され、先述したようにKKKの活動が活発化し、また、異文化をもちこむ移民を制限する法律や禁酒法が制定された。繁栄の20年代は、一面では「不寛容な20年代」でもあった。禁酒法によりノンアルコール飲料が注目を浴び、1919年アトランタで始まったコカ・コーラは売り上げをおおいに伸ばした。一方、酒の密造・密売によって巨利を得たアル・カポネなどのギャングが暗躍し、シカゴではギャングの抗争が最高潮に達した。
また、「永遠の繁栄」がうたわれながら、この時代のアメリカ農業は不況にあえぎ、作物が収穫できても利益が残らない「豊作貧乏」の状態に陥っていた。